2005年05月01日

●口に出して言われない言葉

さっきから「ゆらゆら帝国」聴いてます。

大きな事故、事件、災害などが起こったとき、
テレビに登場する人はあまり「死」という単語を発しない気がします。
亡くなった、とか、被害者という言い方をすることが多い。
とくに犠牲になった人の家族や親しい人は
「ああいうことになって」「ひどいこと」といった抽象的な表現になる。

たぶん、遠ざけておきたいモノ、受け入れたくないモノを
直接的に表す単語は無意識のうちに避けるのでしょうね。

でもこれが「文字」という書き言葉になると、
とたんに「死者〇人」「死亡」という単語が普通に使われる。
テレビでも、アナウンサーが「犠牲者」と読み上げる一方で、
画面に現れるテロップの文字は「死亡」になっていたりする。

「口に出す」ことと「文字にすること」の心理的な意味合いは
やっぱり違うものなのだなぁ、と改めて思いました。

山田風太郎「戦中派不戦日記」を読んでいたら、
柳家三亀松が「かの憎むべきB公が」と語るシーンが出てきました。

当時、関東に度々来襲していたB29のこと。
山田風太郎さんの周囲では
「ポー助」
「プーちゃん」
なんて呼び方もあった。

こういう言い換えは日本人特有のものではないみたい。
もっと書けば、被害者だけでなく、加害者も同じことをするようです。

戦争における『人殺し』の心理学」(デーヴ・グロスマン 安原和見訳)
という本によると、
現場の米軍兵士は「殺す」という言葉を使っていない。

敵であるクラウト(ドイツ兵)、ディンク(ベトナム兵)、スラント(東洋人)などに
ピース(武器)を使ってラウンド(弾)をぶちこみ、
「倒し」たり、「やっつけ」たりして、
「粉砕」するのだそうです。

「言葉を発しない」ことで、
表現されている何かというのは、なかなか重い気がします。

聴いているアルバムはこちら。久しぶりに聴いたけど、いいです。




Posted by tekigi1969 at 2005年05月01日 14:16
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