2006年12月05日

●まだ食べられる

「まだ食べられる」というのは呪文のような言葉だなあとよく思います。腐りかけ、賞味期限切れ、匂いがヤバげ、地面に落ちたなどの状況でつかわれます。大切なのは「誰が」「どんな風に」言うか。科学的にどうこうはあんまり関係ない。相応しい人が確信に満ちた表情で「これは、まだ食べられる」と断言すればOK。儀式は終了。みんな細かいことは無視して食べちゃいます。これは、一種の呪術儀式だと思う。その魔法のフレーズによって、「ナシ」っぽかった食べものが「アリ」になる。断言した人はその瞬間、司祭になっているんじゃないかな。こういう空間が生まれてしまうと、あえて「やっぱり食べられないよ」と反論するのは難しい。まあ、たまにいるけど、「空気が読めない」というタイプだと見なされちゃうと思う。

「まだ食べられるかどうかを判定するに相応しい人」であるかどうかは、集団が無意識に決める。「ひとびとが数人、集まっている」→「食べ物が地面に落ちた」→「捨てるにはもったいない」という状況になったとき、なんとなーく、みんなが表情を探る人。その人こそが司祭候補。ところが当人にその自覚がない場合もあります。「どうかなあ」なんて悩んでしまう。困った状況です。みな「まいったね」という表情で、きょろきょろする。これは二番手の司祭を探している。誰もその役を買って出なければ、結論は出ないまま、食べものは捨てられてしまう。

もし、その食べものが本当に腐っていたらどうなるんだろう。まあ、滅多には起こらないけど、誰かがそのせいでおなかを壊す。その場合は司祭がちょっと恨まれるのかな。ざっくりと流すのだろうか。うーん。ケースバイケースっぽいですね。でも、いずれにしても、司祭役に求められているのは「判定」じゃなく「断定」なのだと思います。本当はみんな食べたい。でもちょっとはばかられる。そんな時に「誰かが食べられるといった」→「みんなそれに従った」→「自分もそうしよう」という手順が必要になるんじゃないかな。そのための「断定役」を無意識に探す。他人のせいにして行動できるからってことなのかも。そう思うと、ちょっと怖い。わりと政治の世界の仕組みにも似ているような気がします。

Posted by tekigi1969 at 2006年12月05日 18:47
トラックバックURL

このエントリーのトラックバックURL:
http://tekigi.hiho.jp/cgi/mt/mt-tb.cgi/1157

コメント
コメントしてください




保存しますか?