2008年01月10日

●一寸のGにも

1、こないだ都内のお寺に取材に出かけたのです。編集さんもカメラマンさんもいなかったので、ぼくひとり。正座だったらツライなあと思っていたんだけど、応接室に通されてホッとしました。テーブルをはさんで、和尚さんと向かいあう形でインタビュー。すべてのモノは仏心仏性のなかにある、とか、そういった話題を、手元にあったミカンまでつかって、分かりやすく熱心に話してくださいました。そのとき、テーブルのわきに、ポトンと音がしたのです。

2、Gでした。黒光りしてガサゴソ動く、あのGです。天井付近から落ちてきたらしい。季節外れだからか、ちょっと色は薄くて、小ぶり。動きもすごく鈍い。「ん?」と一瞬会話が止まって、ぼくも和尚さんも、そっちを見た。さて、どうすべきか。妙な緊張感が走りました。和尚さんの口からは、ちょうど「山川草木悉皆成仏」という単語が出ていて、そのセンでいくと、こいつも仏のはず。さて、どうすべきか。仏教でも、いろんな宗派や考え方があるはずで、こういうときの対応方法も異なるはず。

3、とりあえず、ぼくは知らん顔をすることに決めました。和尚さんも、チラとそちらにやった目をすぐに戻し、話を続けました。でも、視界の隅のほうで、カサッ、カサッというかすかな音がします。このまま「いないこと」にして続行するのは、ちょっとムリそうな感じ。和尚さんは「ミカンにも」といったあと、少し間をおき、「アレにも仏はあるわけです」とおごそかに言いました。少しホッとしたんだけど、同時にぼくには新たな課題が生じました。

4、きちんと確認したわけではないけれど、アレも仏である以上、邪険にしたらマズそう。少なくともこの場で殺しちゃうのはいけない気がする。でも、もし、あのGがぼくらの話している場所に向かってきたら、どうだろう。ぼくはそれをそのまま受け入れらて、ノートの上に来ても、手に止まっても、そのままインタビューを続けるべきなのだろうか。それとも何か気の聞いたことを言って、振り払うべきなのだろうか。それと、もうひとつ。あのGが和尚さんに一気に接近した場合、和尚さんは理屈どおりに行動してくださるのだろうか。

5、ぼくももうそれなりに大人なので、もし目の前でパチン!としちゃっても、それはそれで「そういうもんだよな」と思うくらいの度量はあるつもり。そういう解釈も全然アリだと思うし。でも、念のために、もしタイミングがうまくいったら、見ていなかったフリをする準備もしておこう、とも考えていました。ただ、心の底では、この和尚さんが「さすが」と思わせるような対応をしてくれないだろうか、という期待もしていたのでした。

6、それから3分くらいして、Gがわずかながら歩き始めました。ぼくではなく、和尚さん方面に向かっています。和尚さんは、とつぜん立ち上がりました。そうして、手にした紙で風を起こして、Gをテーブルの下に吹き飛ばしました。Gはあっさりと視界から消え、あとは何事もなかったかのように取材をすることになったのでした。ううむ。そこまではアリだったのか。

7、なかなか貴重な体験をしたなあと思います。でも、どうせなら、もっとギリギリの攻防を見たかった。いや、まあ、理屈どおりにはなかなかいかないのは、じゅうじゅう知っているんだけどさ。でも、それを確認するたびに「なるほどなあ」と思ったり、必要以上に優しい気持ちになったりするのって、なんでか楽しい。もちろん、きっちりツッパるのも、かっこいいなと思いますよ。自分でそういう場面に追い込まれるのは困るけど。

Posted by tekigi1969 at 2008年01月10日 13:42
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