2009年05月22日

●弟子入りしてたことを思い出した

1、こないだ、両親@愛知が
  突然横須賀に遊びにやって来た。
  浦賀に着いて、荷物を置いた母が
  「こんなの見つけたよ」と出したのは一通の封筒。

2、オモテに
  20歳まで住んでいた住所が書いてあって、
  宛名はぼく。あけたら、こんなのモノが出てきました。

 s-182-8274_IMG.jpg

3、うおおお。懐かしい。
  萬流コピー塾の見習いバッジです。
  30年近く前のモノだけど、分かるひとには分かるはず。
  でも、ちっとも知らないひとも多いかもしれない。
  いまは「ほぼ日」の”ダーリン”だったりする
  糸井重里さんが”家元”だった時代の代物です。
  週刊文春でやっていた連載にぼくは投稿していたのです。
  中学1年から3年くらいにかけて。

4、毎回家元がコピーのお題を出して、
  読者が投稿する。
  優秀作は20個くらい文春誌上で紹介されて、
  糸井さんの寸評と点数(松、竹、梅)がつけられる。

5、何度も掲載されると、
  得点がたまって、ランクがあがる。
  このバッジは、「見習い」になったときにもらったのです。

6、ずいぶん前のことなので記憶がオボロだったのだけど、
  母の持ってきた封筒には
  「弟子」になったときの紙も入っていました。

 s-182-8277_IMG.jpg

7、たしか「名取」になると、
  家元の”糸””井””重””里”四文字から
  一文字がもらえたはず。そこまでは行けなかったと思う。

 s-182-8275_IMG.jpg
 ↑
 これは何かの特別企画のときに
 白石勝賞(文春の当時の編集長)をもらったときの紙らしい。

8、てなわけで
  自分に師匠のようなものがいたことを、
  約25年ぶりに思い出したのでした。
  コピーライトの仕事はごくたまにしかしないけれど、
  家元に恥ずかしくないようにせねばと
  ちょっとだけ思ってみたり。みなかったり。

9、掲載されたコピーは、
  じつは、いまでも、いくつか覚えてる。
  でも恥ずかしいから書きませんよ。いえません。
  10代前半の自分なんて、ほとんど他人みたいなもんじゃん。
  でも地続きだという自覚もあるから、恥ずかしさ百層倍。書けません。

10、でも「雑誌に自分の文章が載る」という経験をしたのは、
  間違いなく、これが最初だった。
  見習いバッジ、ジャケットにつけて歩いてみようかしらん。

Posted by tekigi1969 at 2009年05月22日 18:26
トラックバックURL

このエントリーのトラックバックURL:
http://tekigi.hiho.jp/cgi/mt/mt-tb.cgi/1810

コメント
コメントしてください




保存しますか?