2011年03月29日

●(地震後日記)3月20日

(3月29日に思い出しながら、書きました。)

1、朝起きたらインターネットは月の話題と写真でいっぱい。なんだなんだと思ったら、夕べは月が地球にものすごく接近するスーパームーンだったらしい。ぜんぜん知らなかった。14%大きく、30%明るくなったとのこと。見上げればよかったなあ。ちなみにスーパームーンは日本語でもスーパームーンで、「ちょう月」ではないようです。

2、3連休2日目。去年の値上げ以来減らしていたはずのタバコがまた増えていることに気づいた。1日2箱。元通り。いやホントは分かっていたんだけど、「いまは、ほら、非常時じゃん、有事じゃん。あれこれストレスたまるしさあ」と、自分をごまかしていたのです。でも、このまんま吸い続けたら、健康以前に財布が有事になってしまう。タバコをまた減らすことにしました。オレの復興スタート。すんごいプチだけど。

3、この日も停電はなかったけど、テレビやネットにはあまり近づきませんでした。情報と感情に被ばくしそうだったから。ぼやぼやしてても、イザとなればぼくにはケータイも防災無線もある。これだけの装備でも、世界規模でみたらめちゃめちゃ恵まれているんだと思う。この世がもしドラクエだったとしたら、すごいプレーヤーはきっとこのくらいの防具で最後までクリアしちゃうんじゃないだろか。

4、てなわけで本を読んだり、庭の手入れをしたりの一日。あ、このBLOGも書きました。どうやらぼく は長い文章を書くと、気持ちが落ち着くらしい。15年ライターをやってきて、そういうカラダになっていたみたい。

5、地震はたしかに「現実」で、原発の事故も不安な要素はまだ多い。「注意」やら「注視」しなくっちゃいけない。でもその現実にはすでに立ち向かっているひとが大勢いて、ぼくにできるのはせいぜい間接的な協力だけなのでした。しかも、ものすごく限られたコトしかできないから、だいたいは傍観者で、せいぜい遠くから「大丈夫なのかしらん」とか「それでいいの?」なんて声を上げる批評家にしかなれない。こうしたニュースを見続けること、情報ソースを探し続けることは、本当に「現実を直視すること」なのかしらん、という気がするのです。

6、むしろ、ぼくの場合は、地震やら放射線という「ドラマチックな現実」にかこつけて、「終わることなく、当たり前につづく平凡な毎日」に刺激的な味付けをしていただけのような気がします。でも、いま自分が向きあうべき現実はそっちじゃない。そっちには、少なくともいま「ぼくにできること」はない。向き合うべきは、ちっともドラマチックではない方の現実。災害を言い訳にしないで、こっちの現実で格闘して、日常をもっともっとおもしろいものにしなくちゃいけない。

7、誰かがツイッタで書いていたけど、いまは「世紀末じゃなくて、年度末」なのだと思います。というわけで、この日から寝室で眠ることにしました。余震備えモードをやめて、きちんと寝る。約10日ぶりの布団はちょうフカフカでヤバかった。

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2011年03月28日

●(地震後日記)3月19日

(3月28日に思い出しながら、書きました。)

1、6時ごろ起床。まだリビングで寝ている。緊急地震速報がまだちょくちょく鳴るので、なんとなく落ち着かないのです。でもだいぶ回数は減ってきた。ちまたはきょうから3連休で、東京電力さんは「できるだけ停電は回避したい」とのこと。さっそくこの日の計画停電はナシになりました。

2、もともとの予定では、この連休は静岡の同級生が泊まりに来るはずでした。だけど、もともとの彼の予定(都内での集まり)がキャンセルになって、しかも我が家も停電がどうなるか分からない状態だったから、延期せざるを得なかった。さびしいけど仕方ない。近所のお店でも「停電と自粛ムードできびしい」と聞いたし、数時間かかるような生産ラインを持っている工場だと「3時間の停電」でも、一日動かせなかったりするらしい。これに比べればぜんぜんマシ。個人的にはこれをきっかけに、電力消費の少ない生活を続けたいなあと思う。エアコンないから、いまでも30A契約なんだけど、いっそ20Aとかにできないものかなあ。それだと長続きしないかしらん。テレビなくせば、もしかして。うーむ。

3、ツイッタをみていると「みんなが1つになるべき」という声が多い。でも、その調子が誰かに対して「それはフキンシンだ」「首都圏から逃げ出すなんて信じられない」とか他人を非難する理由になってしまうことがある。これには違和感を覚えました。「協力するべき」というのは全体としてみるときっと正しいんだろうけど、個人個人はギリギリまでは自由であるべきだと思う。ぼくは「正論」ってのは、自分を説得するためにつかうモノだと思っています。他人に向かって正論だけを振りかざすのはたいてい得策じゃない。ひとに何かを伝えるためには、正論以上のモノ(魅力、メリット、エンターテイメント性などなど)がないと届かない。だから、自分は自分、他人は他人で信用するしかない。こういうとき、いちばん邪魔になるのは「怒り」という感情だなあ、とも思いました。

4、てか「誰もが全体のことを考えて、最適な行動をとる世界」なんてぼくには気持ち悪い。以前あるひとが「最適化された行動をとる子どもがいたら、つまんないでしょう」と話していたことがあって、そのことも思い出しました。てなわけで「フキンシンはロシアの保守思想家、フキン・シンならインド出身のプロレスラー(悪役だけどじつはいいひと)」とか「予断はここのところずっと許されなくて可哀想」とかツイッタでぶつくさつぶやいていたら、「そういう、どうでもいいつぶやきを待ってました」とリプライが来て、なんだかうれしくなりました。

5、友だちや仕事の方々とメールや電話。先の予定がちっとも見えず「落ち着いたら」とまるで枕詞のようにいっている自分を発見。悔しい。「地震後日記」を書いていたら、奥さんが実家から届いていた大量のダイコンをつかって「風呂吹け!ダイコン祭!」を台所で開催していました。

6、夕方になって緊急地震速報にビクッ!ここのところ「なーんだ」という結果になることが多かったんだけど、このときは少し揺れた。茨城北部で震度5強。このエリアに住んでいる知人から「揺れに慣れちゃって逃げなきゃいけないのか逃げなくても大丈夫なのかわからなくなってきてる」と返信がきて、それは途方もないストレスだろうなあと思いました。

7、この余震が気になって、またもやリビングで寝ました。楽しみにしていた「taroの塔」は放送延期。ちなみに朝の連ドラ「てっぱん」はこの日から再開されました。

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2011年03月27日

●(地震後日記)3月18日

(3月27日に思い出しながら、書きました。)

1、地震から1週間。横須賀は雲ひとつない青空だけど、冬に戻ったみたいな気温で寒い。灯油が買えるか分からないので、ストーブガマンして、午前ちゅうは毛布にくるまって過ごしました。日がさして庭に出てみると、ユキヤナギがちんまりと咲いている。この日は卒業式のひとも多かったみたい。

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2、計画停電は12時50分ごろにスタート。昼間だし、ずいぶん慣れたから、のんびりしたもの。ケータイでツイッタをのぞいたら、NHKの登坂アナを応援するつぶやき多数。緊急事態に対応するため、北海道支局から一時的に全国放送に戻ってきているらしい。こんなに人気あったとは知りませんでした。(こんな画像まである→これ)彼はぼくと同世代で、しかも同じくらいの白髪なので、この声援はなにやらうれしい。いっそ流行っちゃいなよ、白髪!とかこっそり思いました。

3、ラジオが”その時間”を知らせたとき、ぼくはトイレでした。すっきり顔で出てきたら、各地で黙祷がおこなわれているとのニュース。なんとなく、自分なりに思いを馳せてみました。それにしても「もう1週間経ったんだ」という感じ。ぼくはただ余震、地震速報、原発事故の動向にそわそわしているだけだったんだけど。地震による被害の全体像はまだ明らかになっていない。津波というのは、住むひとびとの記録さえも押し流してしまう。

4、電気が復活して、明日以降の停電スケジュールを確認。停電&節電を呼びかける「ヤシマ作戦」に呼応したエヴァ風計画停電スケジュールサイトが登場していました。(この当時は→こういう風だったのだけど、その後さらに充実して27日時点ではこんなデザインに進化!)このムダにカッコイイ感じは、すごくステキだと思う。

5、確認した今後のスケジュールを一覧表にしてプリントアウトし、こないだのご近所さん2軒に配達。もう慣れてきたころかもなあと思ったんだけど、ノックして「明日以降の停電予定、いちおう持ってきました」と声をかけたら、扉越しに「え!明日からも続くの?」と慌てた返事。最初に告知された3日で終わると思い込んでいたみたい。届けてよかった。毎日テレビはチェックしているらしいけど、情報が多すぎてついていけないとのこと。こんなことでも役に立っているのだなあ。うれしいので、今後も続けることにしました。

6、第4グループの方々が停電しているぶんの電気を使って、お風呂にはいる。いつもはものすごい早風呂なんだけど、この日は何となく、ふだんよりも長くつかっていたみたい。すっきり出てきたら、ある方から「地震について書かないのですか?」とのメッセージが来ていた。あー!と思わず声を出しちゃいました。湯船のなかでずっと考えていたのは、そのことだったのです。すぐに「書きます!」と返事をして、この「地震後日記」をはじめることにしました。

7、東京スカイツリーが開業時の高さ634メートルになったというニュース。地震&停電でも、計画通りに進んでいた。来年春の開業も予定通りらしい。この高さだと都内のあちこちから、見える。この新しいランドマークは何かの象徴になっていくのかもしれません。

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2011年03月26日

●(地震後日記)3月17日

(3月26日に思い出しながら、書きました。)

1、東海ラジオを聴いたという昨日のツイートに、名古屋の友だちから「CBCは聴かないの?」と返事。つボイノリオさんが朝からラジオに登場しているらしい。知らなかった!つボイノリオといえば、30年前、ぼくが小6とか中1で、愛知の江南市というところで深夜放送を聴きまくっていたころの深夜ラジオの王様です。「金太の大冒険」はもちろんアルバムで持ってたし、番組もしょっちゅう聴いて、投稿ハガキを読まれたこともある。でも、CBCの周波数1053KHzのあたりはけっこう他の放送局に電波が強くて、横須賀の携帯ラジオでは受信不能。ましてや電波が届きづらい午前は絶対にムリでしょう。ネットで聴けちゃったりするのかもしれないけど、あの声はやっぱりラジオ越しがいい。今度帰省したら挑戦しようと決めました。

2、原発事故について、ネットではいろんなことが語られていました。「真実は意図的に隠されている」「本当のことを知っている関係者はすでに逃げている」という陰謀論っぽいものも混じってきた。メールやら電話で話した知人からもそんなウワサが。以前、「噂の真相」で記事を書いていたころのことを思い出しました。意外なことに、一次情報に近いはずのマスコミ周辺には「実はあれには裏があってね~」「これは絶対に表に出せないことなんだけどね~」というたぐいのヨタ話がものすごく多い。一次情報に近いから逆に「本当」っぽく思えるのか、そういう裏話のたぐいを好むひとが多いせいなのか分かんないけど、無責任で荒唐無稽なヨタ話がまかり通っているのです。なかには真実もあるのかもしれないけれど、圧倒的多数はただのヨタ。ウワサ。でも、おっかないのが、こういうのを語るのがやたらとウマい妖怪のようなひとがいるところ。1%の真実に99%の誇張と推察、ときには悪意さえミックスして、「いかにもありそうなコト」を真顔で話す。ぼくも耐性ができるまでが、けっこう「ええ!」なんて驚いたりしていました。でも、こういうのは、マユツバ程度に「へえ」「うわあ、それはあるかもしれないですねえ」ぐらいで聞き流しておくのがベストだと思います。小説だと思えばけっこうおもしろい。ただ、真に受けてもあんまりイイコトはないっす。というわけで、今回もその方向で「へー」と斜め読み。ちょっと気になるものは、自分なりに「陰謀をしたり、真実を隠すメリットとコストの比較」「どうしてそんな重大な秘密が、ぼくなんぞにバレてしまったのか」とかを想像して、ふむふむ判断しました。

3、原発のことは、あたらめて別のエントリーを書くつもりだけど、ちょっとだけ書いちゃいます。まず、ぼくの立場というか希望。ぼくは原子力発電に頼る状態がこのまま続くべきではないと思っています。それはいま福島で起こっているような事故の危険性があるからだけでなく、今後何万年にも渡って続く「使用済核燃料の保管」という課題を、人類が無傷でクリアできるようには思えないからです。かつての「反原発」運動は、その危険性を広く知らせ、多くの新規建設、危険な施設の運用を止めることに成功してきたと思います。でも、その一方で「首都圏で使う電力を、地方の原発でつくる」「老朽化した原子力発電所が廃炉にならず、使い続けられる」という皮肉な状態を引き起こし、原子力への依存度はむしろ高まってしまいました。そこに今回の事故が起こり、多くの原発が止まりました。今後はどうなるのか。もし続くにしても、最低限、いま起こっている事故を処理し、被害の補償をしたうえで、同じ規模の災害に耐えうる施設をつくってもらいたいと思います。そして、これらのコストをすべて支払ったうえで、未来永劫続く廃棄物保管に関するコストも勘案したモデルを構築して欲しい。そうなれば、たぶん、風力、太陽光、波力、地熱といったエネルギーへの移行が現実味を帯びてくると思うのです。(政治がお金を出して助けたらこのコスト計算は分からなくなっちゃうけれど、もう、そんなことはして欲しくない)

4、ただ、これは、ものすごくロマンチックで傲慢な願望なのかもしれません。反原発運動が盛り上がっていたときでさえ、電力需要は増え続けていました。ぼくらは電力をガマンして生活し続けることはできないのかもしれない。阪神淡路のときにも盛んに議論されたけど「この災害をきっかけにして変えるべきを変えよう」という意見は、「ただ元通りの生活に戻りたい」という被災者の復興を妨げてしまう可能性もあります。いま首都圏でおこなわれている3時間の計画停電でも、たくさんの企業や商店が経営危機に陥っている。だから、「一気に廃炉」とはいかないかもしれない。ものすごく難しいのだと思う。でも、ここで出口が見つけられたら、と考えずにはいられない、というのがいまの心境です。あー、やっぱり長くなりますね。このへんは、やっぱりエントリーをあらためて書きます。

5、とかなんとかデッカイことを考えながらも、じつは「地震があってから、仕事の依頼が来ないなあ」とちょっと不安になっていました。現実から目をそらすのに、デッカイ社会問題は便利です。フキンシンかもしれないけれど、けっこう、そんなもん。「まだきっとバタバタしてるのだ。落ち着いたら連絡あるさ」と自分にいい聞かせて、近所のワインセラーみやまささんへ。我が家と同じく15時過ぎから停電すると聞いて、その前にと焼酎を購入。ついでに店主さんのワイン師匠にあたる方が書かれたという「物語るワインたち」城丸悟(悠思社)をお借りしました。このペンネーム、シャトー・マルゴーのモジリなのだ。

6、計画停電終わって、ツイッターを立ち上げたら、夕方から再びお店を開けたみやまささんでワインの試飲をしているとのつぶやき発見。しまった!買いにいくの早まった。でも停電ちゅうに飲む焼酎お湯割りもなかなかオツでしたよ。

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2011年03月25日

●(地震後日記)3月16日

(3月25日に思い出しながら、書きました。)

1、おはようございまんじゅうと起床。じつは地震以来、リビングで寝起きしてました。余震と緊急地震速報のたびに飛び起きちゃうので、テレビやら非常用荷物に近いほうが落ち着けたのです。この日は紙のリサイクルゴミの収集だったけど、我が家に出すべきものはなし。こういうときでもスケジュールどおりゴミは回収されている。当たり前だけど。でも、たぶん、この「当たり前」はものすごくレベルの高い「当たり前」なんだろうなあ。もちろん、今回の地震はものすごかったので、そうはいかなくなっている分野も多い。出版業界はいま紙、インキ、流通がボロボロになっていて、しかも長引くのではという観測が出ているようでした。単行本の執筆・リライトで生計を立てている身としては恐ろしい状況だけど、心配したって状況は変わらないし、自然災害に抗議してもたぶん言葉が通じない。英語ペラペラだったらもしかしたら、ってこともなさそう。ツイッターには「電子書籍が広がるきっかけになるのではないか」という前向きな意見もあって、ひとまずこれを採用することに決定。ヒマになったらぼくもこっちをがんばればいいさ。ほっほー。

2、北茨城の友だちが、夜明け前からガソリンを給油するために並んでいた。旦那さんの仕事にどうしても必要らしいんだけど、結局手に入らなかったとのこと。ぼくの住んでいる浦賀のパン屋「はまだぶんてん」(←ちょうおいしいのです!)さんは、地震以来「買いだめしなくてもいいように」と毎日パンを焼いて頼もしく営業ちゅう。でも、ガソリンが手に入らず、この日からスーパーなどへの配達ができなくなっていました。(20日に再開されました)

3、庭に出てみたら、猫フンを発見。あんまり外にでていなかったから、彼らに「トイレにしてもいいところ」と認識されてしまったのかもしれません。鼻をつまんでスコップで処理。木酢酸とコーヒーのだしがら、あとは人の気配をプンプン出しまくって、「ここはオレの陣地だ」と主張しておきました。いつも思うんだけど、彼らのフンのうえにぼくがウンコしたらどうなるんでしょう。「あ、ここはわたしのトイレじゃない」といちばん伝わるんじゃないかしらん。それとも公衆なトイレットと認識されちゃうのかな。

4、午後になって、ご近所さんがピンポンと来訪。珍しい組み合わせの年配なお二方。なんだろうと思ったら、計画停電のことでした。「どうして、きょうは電気消えないの?」「え。きょうは夕方の予定ですよ」「あらあ。昨日と違うんだ」どうやらグループ分けとか、実施の日程とかが分からなくなってしまったらしい。テレビや新聞で扱うのは広いエリアの情報だから、自分の住んでいるエリアのことをチェックするのが難しい。ケータイ、パソコンはつかっていない。「防災無線でもアナウンスしてますよ」「あれさ、男の人になったでしょ」「でしたっけ」「聞き取りづらいのよね」「ああー」たしかに、ぼくも地震直後の津波警報アナウンスが上手く聞き取れなかった。それじゃあと、今後の予定をネットで確認して、知らせることにしました。市のサイトの情報をもとに大きな文字で数日分の予定表をつくり、プリントアウトして、配達。そしたら「ありがとう」と、イチゴをいただきました。ビバだぜ、インターネッツ!

5、首都圏の混乱は全国的なニュースになっているようでした。津波・地震の被害を受けた地域やインフラが届かないエリア、原発事故の影響が大きいところに比べたらぜんぜん平気だと思うんだけど、ほとんどのメディアは東京にあるから、やっぱり報じ方は大きくなる。心配した名古屋の実家から、たくさんの自家製野菜と乾電池、携帯ラジオが届きました。「何か欲しいものはない?」との奥さん実家からの連絡には「ぜんぜん大丈夫です。しいていえば、英智選手のサインボールが欲しいです」と答えてあったんだけど、残念ながらドラゴンズグッズは入ってなかった。借りていたラジオを友だちに返して、この日からあたらしいソニーの携帯ラジオが導入されました。

6、この日の計画停電は18時50分ごろにスタート。周囲を飛び交う電磁波が少なくなるので、遠くのAMラジオ局が受信しやすくなります。「もしかして」と1300KHz付近をチューニングしてみたら、あっさり東海ラジオがはいった。なかなかクリア。しかもちょうど「ガッツだ!ドラゴンズ」をやっている!番組が終わってからは、ラジオ日本をチョイス。ぜんぜん知らない番組(たぶん「くず哲也のオトナの情報マガジン」)だったけど、80年代の音楽ばっかりかけていて、こちらもなんだかすごく楽しい。停電前に準備してあったおにぎり、おかずをモリモリ食べながら奥さんに「けっこうオッサンくさい番組だけど、いいね」といったら、あきれた調子で「だからさ」もぐもぐ「何度もいってるけど」もぐ「もうおっさんなんだってば」といわれました。そういえば、そうでした。

7、夜寝る前にツイッタをみたら「アプリが2位になってますよ」とのうれしい知らせ。別の方が、スクリーンショットまで送ってくださいました。うわあ、ホントだ→証拠。教えてくださった方、読んでくださった方、おめでとうといってくださった方々、ていうか、みなさん、ありがとうございます。

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2011年03月23日

●(地震後日記)3月15日

(3月23日に思い出しながら、書きました。)

1、この日も5時半に起きて「おはようございまんじゅう」でスタート。計画停電がついに実施されるとのニュースをみて、速攻でゴミ出し。市の発表どおり第3グループとすれば6時20分~10時のうち3時間ほど電気が止まる。我が家は6時50分ごろ消えました。もともと朝は静かなものだけど、やっぱりあたりがさらにシーンとなるのが分かります。いつもの音量でラジオをつけると、ちょっとやかましいくらい。ボリュームしぼって耳をすますと、前日白煙をあげた3号機に続き、定期検査で停止していた4号機でも爆発音がしたとのニュース。ケータイからツイッターを立ち上げると、ぼくのTLには東京電力の記者会見についてのツイートが並んでいました。発表内容に疑念を感じるひと、不安を覚えるひと、記者の態度に怒りを表明するひと。東電も、記者も、それを見守るぼくたちも、みんなイラついている。

2、停電後、パソコンを立ち上げると「本当はどうなの?」という疑問がネット上にあふれていました。福島、茨城ではなく、首都圏にまで不安が広がっている感じ。なかには「ナノ」「マイクロ」「ミリ」の単位をごっちゃにした意見や、「1時間あたり」と「蓄積量」を混同した疑問もありました。不安解消になるかなと、ぼくの分かる範囲で(中退だけども、いちおう元工学部電気学科なので)つぶやいてみたんだけど、専門家の分かりやすい解説がすぐに出てきたのでやめました。でも、こうした科学的な説明にも「本当なの?」という疑問が出てくる。原子力に関わる会社や政府への不信感ならともかく、それ以外の団体や専門家が出している数値や解説にも「?」が付けられてしまうのです。求められていた「本当」は「真実」だけでは足りない、むしろ「安心」に近い「本当」のようでした。実話に基づいて書かれた小説が必ずしも「リアル」ではないのと同じで、「説得力」を持たせるための別のナニカが必要とされていたのかもしれません。(これはもしかしたら、「メディアリテラシーうんちゃら」をどうやったら実践できるのかという問題にも関わってくるような気もします)

3、ちょっとマジメな気分で考え込んでいたら、知人から電話。外出先で地震に遭遇した彼は地面の「液状化」を体験したと言っていました。ちょう怖かったらしい。幸いケガや被害はなく、都内に暮らす家族も全員無事だったとのこと。「よかったですね」「ただ過剰反応だと分かってはいるんですけど、子どもの学校は休ませました」彼がいう「過剰反応」とは、都内で放射線量が微増したという報道のことでした。彼はぼく以上に論理的に考えて行動する人物だから、現在の放射線量がほとんど無害だということなんか分かっている。でも「もし万が一、とつぜん状況が悪化して、子どもに影響が出たら」という恐ろしい想定の前には、そのとき手にしている情報はやっぱり「本当」に足りなかった。

4、電話を切ったあと、メールやツイッターで、子どもや妊婦のことを心配している知人が他にもいることに気付きました。「疎開」という単語がweb上にちょこちょこ登場。そのほとんどが科学的な情報をきちんと理解したうえで、でも、不安・不信はぬぐいされないと書いている。それにくわえて、東京近郊では、余震、停電、さらにはガソリン不足、食品類の買い占めが起こっていて、ストレスも多い。こうした状況のなかで、関西に本社機能を移した出版社がツイッターでは話題になっていました。違和感やら不快感を表明する声もあったけど、ベストを尽くす方法はそれぞれ異なってもいいはず。少なくともぼくにとって、いま知人にいうべき言葉は「科学的には~」うんぬんではなく、ましてや止めることでも非難することでもなく、「手伝えることがあれば全面的に協力する」でした。ぼくだって子どもがいたら、そうしたかもしれない。少なくとも「本当」のハードルはかなり上がったと思う。杞憂で済んだら、あとでネタにして笑い話にしちゃえばいいのだ。

5、このときぼんやりと考えた「本当」を巡るあれこれは、文章書きとしてもっと深めていくべき課題だと思っています。書くことは、きっと「本当」を表現することでもあるはずだから。

6、夕方になって「そういえば」と、iTuneストアをチェック。なんとぼくの書いたブックアプリ「『アイデア』が生まれる人脈」(監修・児玉知浩さん)が「もしドラ」師匠を抜いて、3位になっていた!たまたまだとは思うけど、自己最高位だし、やっぱりこのランキングはうれしい。みんなにも知らせたい。まだちょっと宣伝をするのは少しはばかる気持ちもあって、「こんなゴジセイだけど」とか何とか断ってつぶやいてみたら、「おめでとう」と喜んでくれる返信をもらいました。

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2011年03月21日

●(地震後日記)3月14日

(3月21日に思い出しながら、書きました。)

1、ひさしぶりに5時30分起床。ケータイからツイッターに「おはようございまんじゅう」とつぶやいて、月曜のゴミ出し。我が家の収集所は漁港のわきにあります。平日でも乗合船の釣り客が集まっていることが多いんだけど、この日はとても静かでした。早起きしたのは、計画停電に備えるため。市役所HPによれば我が家は第3グループに属している。でも、東京電力のHPでは、第1グループにも載っている。どっちなんだ。後者の場合は早ければ6時20分に停電するかもしれない。第3ならば午後。考えたって分からないので、両方に備えて早めにコーヒーをいれました。前日、桃の枝のおすそわけに出かけた近所の染織家・西川さんが「予備があったからどうぞ」と貸してくれた携帯ラジオを聴いていたら、午前中は停電回避との放送。なーんだ、と拍子抜け。でも、これは自宅にいたからそう思えただけでした。首都圏では鉄道の運休・変更が相次いで、出勤した方は行きも帰りもものすごくたいへんだったみたいです。

2、停電はなくなったけど、午前中はラジオにしました。こちらも地震のことばかり。でもテレビやネットと受ける印象がずいぶん違う。同じ内容を伝えているとは思えないくらい印象が異なるのです。恐ろしい映像がないせいもあるのかな。でも、それ以上に、感情を刺激するような表現や、あおる(煽る)演出が少ない気がしました。それに、アナウンサーやDJの方々の語り口がすごく抑制されているのも大きいんじゃないかしらん。落ち着いた調子で報じられる地震のニュースは、すごく冷静にきけちゃいます。途中で、全国各地で「せっかく備えたのに、なんで停電しないんだ!」というリスナーの声が紹介された。ぼくもたしかにイラッとしたひとりなんだけど、東京電力さんはきっと「できるだけ停電にならないようにしたい。でももしかしたらヤバイかもしれないからお知らせしておこう」と思ってやってたんじゃないかなあ。だから、回避でイラッとするのはちょっと申し訳ない。ごめんなさい。「このスケジュールで、もしかしたら停電するかもしれないぞ」くらいの気持ちで取り組むことにしました。てか「どうしてスケジュール通りに停電にならないんだ!」と憤る国民って、もしかしたら日本人くらいかもしれないですね。

3、午後。奥さん任せにしていた確定申告の書類が出来上がったので、自転車で横須賀中央まで提出に。浦賀駅過ぎたあたりから、ズラッと自動車が並んでる。渋滞ではなく、ガソリンスタンドの行列。産油国がえらいこっちゃになっている&きょうは月曜日&鉄道がアテにならない&停電や地震に備えて買出しをしておきたい、とかそういうあれやこれやが重なってのことのようでした。ぼくはクルマに縁がない(そもそも免許をもっていない)ので「うひゃあ」と思っただけで通過。申告を済ませて、ホームセンターをのぞいたら、やっぱり乾電池、ラジオは見事に売り切れてた。ポケットに入れていたケータイが、二度ほど緊急地震速報を知らせてくれたけど、異変はなし。これは誤報だったみたいです。ちなみに、まわりにいた他のお客さんたちはちょっとうざそうにすぐ切っていました。これだけ連続しちゃうと、そうなっちゃいますね。

4、大きなスーパーものぞいてみた。節電で照明少なめ、BGMもなし。ガラガラになっているコーナーもあったけど、野菜はとても安くて豊富。食パンがたくさんあったので、1斤買いました。うちの近所の生協ではたいがい売り切れなのです。カップラーメンのコーナーは空っぽ。ときどき店員さんが品物が出そうとするんだけど、棚に並ぶより先に、待ち構えたひとたちにあっという間に持って行かれてしまうようでした。それぞれ事情や思惑があるんだろうけど、ここでも「うひゃあ」と思いましたよ。

5、夕方になると横浜方面に向かう道路ががぜん混んできた。たぶん、京急鉄道が急遽15時30分ですべての運転を取りやめたからです。家族を迎えにいくんじゃないかなあ。首都圏では片道1時間以上の電車通勤が当たり前。「電車がないから、タクシーで帰っちゃおう」なんてことしたら1万円じゃ足りません。あとで聞いたんだけど、電車でパート通勤しているご近所さんは地震当日の停電・鉄道運休で途方に暮れたそうです。「タクシーで帰ったら、その日稼いだお金がなくなっちゃうから、ずいぶん歩いたわよ」とのことで、途中で知人のクルマに同乗させてもらって、なんとか帰宅したのだとか。

6、ふと思いついて、鴨居のロイヤル洋菓子店さんへ。ここ、店構えはよくある街のお菓子屋さんですが、じつは最近リニューアルして、焼き菓子、ロールケーキなどなどがグッとおいしくなったのです。まだ食べたことのなかったレーズンサンドがあったので、2袋購入。1つはバレンタインチョコをくれた友だちのところに寄ってホワイトデーに渡してきました。もう1つは奥さんへのお返し、というか、我が家用。レーズンサンドも、期待通りにうまかった。

7、結局この日、一般家庭での計画停電はおこなわれませんでした。供給が足りたのは、多くの鉄道が運行を減らしたおかげもあったらしい。たしかに鉄道だとか工場のような大口の需要先は、事前に交渉して、かなり消費を減らしてもらうことができる。これなら電力量を計画的にコントロールしやすいのだと思います。だけど、首都圏でこれをやると、かえって混乱するんじゃないかなあ。せっかく会社に電気が来ていても、そこで働く人間の行き帰りが困難なことになってしまったら、どもならない。実際、この日は多くの会社が退社時間を早めたせいで、営業しようと張り切っていた都心の飲食店さんはどこもガラガラになってしまったようです。

8、ツイッターをみると、原発事故への不安についてのつぶやきが増えている印象。夜寝る前、友だちのミュージシャンNOROっちが「津波・震災で被災された方々が生きる希望を失いませんように」と自分の曲をyoutubeにアップしていた(こちら→「123 / NORO」)ので、リツイートして、就寝。

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2011年03月20日

●(地震後日記)3月13日

(3月20日に思い出しながら、書きました。)

1、ぼくはだいたい毎朝ツイッターに「おはようございまんじゅう」とつぶやいている。じつをいうとこれはアナグラムになっていて”manjuu”を並べ替えると”munaju”。これはフランス語で、というのはウソで、意味はございません。ただのあいさつ。それで、この日もそうしようと思ったんだけど、でも、なんとなく書けなかった。よく分からないほのかな罪悪感のせいです。まあ、たぶん誰にも気づかれないささいなことなのだけど、こういう「自粛」はよくないなあ、とあとで反省しました。無事だったひとは、いつものように平穏な日常を続けたらいいはず。胸をはって足をあげてワンツー堂々、楽しんだらいいのです。それが被災した方々のためにもなる。だから「まんじゅう」というべきでした。それなのにぼくは「まんじゅう」を言えなかった。コーヒー片手にそんなことを思っていたら、防災無線が鳴って津波注意報がようやく解除されました。大津波警報→津波警報→津波注意報という具合に逆出席魚のように変わっていくことを、今回はじめて知りました。

2、ネット上では、さまざまな動きが出ていました。漫画家さんが被災した方々を勇気づけるイラストを書いたり、安否を含めたさまざまな情報をまとめたサイト(例えば「Googleの地震災害情報まとめページ」)が立ち上がったり、被災地で役立つサービス、電子書籍やアプリが無料になったり。NHKは知らないうちにネットでも同時配信されるようになっていて、しかも見たい番組がなくなってしまった子どものためのyoutubeチャンネル(→こちら)までできていた。海外に住んでいる知人の日本人は必要な情報を多言語に翻訳するボランティアチームをつくっていて、「すごいぜ、この国は」とやたらと感激。ついでに、ふだんはあんまり応援したことのない米軍のオペレーション”トモダチ”にさえ頼もしさを感じていました。たぶん、そうとうの興奮状態だったんだと思います。でも、自覚はちっともなく、本人は冷静なつもりで「日常に戻らなくちゃいけない!」とやたらと考えていました。日常って、そんなふうにコブシふりあげて営むものじゃないっすよね。

3、庭に出たら、お隣さんからのおすそわけ。桃の枝が置いてありました。そうそう。日常って、たとえばこういうことです。
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4、夜になって、おにぎりを食べていたら、テレビで「計画停電」についての記者会見が始まりました。首都圏対象エリアを5つのグループに分け、時間を予告したうえで停電するらしい。これで大規模停電が防げるのなら、我が家にとっては、お安い御用。「ガマンする準備はできているぜ」と相変わらずチカラ入りすぎたまま、詳しい情報を得ようとネットをチェックしたのだけど、どうにも要領をえない。アクセスが集中した東京電力サイトは重く、ほかのところに掲載されている資料をみても、自分の住むところがどのグループになるのか分からない。一瞬イラッとして、余計なグチを口にしそうになったのだけど、奥さんに「電車で出勤するわけじゃないんだし、まあ、なんとかなるよ」といわれて、ちょっと落ち着きました。

5、テレビからはほぼすべての番組が消えていました。朝から晩まで地震と津波、被災地、そして原発。AC(公共広告機構)のCMに抗議が来ているという時期をみたのも、たぶんこのころ。ぼくもちょっと辟易したけれど、子供たちが親と手をつないでいるヤツだけは、好きです。とくに両手でオトナの手をつかもうと笑っている小さな子がかわいい。

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●(地震後日記)3月12日

(3月20日に思い出しながら、書きました。)

1、明け方、何度か緊急地震速報で飛び起きた。ケータイが鳴ったような気もするけど、もしかしたらつけっぱなしにしていたテレビの音だったかもしれません。震度6弱、6強の揺れが新潟中越地方で観測されている。とっさに「何が起こっているんだろう」と思うけど、自然災害に意図やつもりはきっとない。あってもぼくなんぞに分かるはずもない。考えてもストレスになるだけだから、自分の家が平気なことだけ確認して、ふて寝。テレビで流れる地震速報の警告音は、ゴジラのテーマをつくった伊福部昭さんの甥の方がつくられたとネットでみたことがあるんだけどホントなのかしらん、とか、あらぬことを考えたりしながら、眠れなくなって、そのうち起きた。

2、テレビは押し寄せる津波、破壊された街、火災の映像。最初は「すげえ」「すさまじい」と思いながらみていたんだけど、あそこにはたくさんのひとや生活があったのだと想像したとたん、みていられなくなってしまった。テレビを消して、パソコンに移動。11日の夜、ぼくはあらゆる連絡・情報をツイッターに頼っていたので、同じようなひとの役に立ちたいと考えていました。そういうときにつかえそうな情報を探してリツイート(RT)する。こうすれば、拡散して、もしかしたら誰かが安心できるようになるかもしれない。しばらく見ていると「災害情報をツイートするときには日時を書きこんだほうがいい」「誤報や真偽不明の情報が多くなっているので、リツイートは慎重にしたほうがいい」「不安をあおるべきではない」ということがさかんにアナウンスされているのに気づきました。たぶん、誰もが「少しでも被災地の役に立ちたい」と思っていて、しかも「一刻を争う事態かもしれない」と感じ、焦っていたのでしょう。もしかすると、こういうときは「なにもできない自分」を認めることもストレスになるのかもしれません。だから、ぼくのようなひとがさかんにツイートを繰り返せば、むしろ混乱してしまうだけのようでした。

3、落ち着かなくちゃいけない。いま自分が被害にあっている方々にできることなんてほとんどない。そんな風に認めるのは悔しいんだけど、おそらくそうなのです。こういうときは、せめてまわりに迷惑をかけないようにしたい。乾電池と携帯ラジオ、停電時用の食糧を買いにいくことにしました。電力供給不足から「停電」が起こりそうという報道を見たからです。ついでに近所の友だち宅に寄ってみたら、単1電池があれば欲しいとのこと。ところが、ドラッグストア、生協、コンビニ、どこにも単1は見つからない。昨夜のうちに売り切れてしまったのだとか。ラジオもなし。手に入ったのは単3電池のみ。食べ物も、米、インスタント食品、冷凍食品、肉類、乳製品、豆腐などがかなり品薄になっていました。

4、帰宅して、奥さんはおにぎりづくり。メールをチェックしたら、電子書籍の誤字・脱字チェック依頼が届いていました。これはカナカナ書房が去年の暮れからはじめている仕事です。事前に作業をお願いしていたTさん、Kさんに確認したところ、大丈夫との返事。でもTさんは東北におられる両親と連絡がついていなくて、Kさんは地震でスケジュールが大きく乱れていたので、状況次第で適宜対応できるよう、手配。

5、福島の原子力発電所でも事故が起きていました。ぼくは大学で工学部電気学科だったので、このへん少しは予備知識があります。原子力の講義も受けたし、放射性物質とガイガーカウンタを扱う実験もしました。ちなみにぼくの母校では、実験に放射性物質をつかった学生が、手続きをめんどくさがって余った分を返却せず、トイレに流したという事件が起こったことがあります。その場は気付かれなかったらしいんだけど、後日、学内で定期的におこなわれているモニタリング検査で発覚。異常な放射線量が測定された、その男子便所付近が封鎖されました。(幸い、微量で被害はなかったようです。念のため)建屋が吹き飛んだというニュースにはちょっと緊張したものの、水素爆発という報道で納得しました。たぶん、ああいう建物は、内部の圧力が高まったときには原子炉を守るため、建屋の方が先に壊れるように設計していると思います。たしかに、原子力にまつわる事故はこれまでずっと「実際に起こったことは、あとになって発覚する」ということを繰り返してきたので、安心はできない。でも、ともかく放射性物質があの場所にあるうちは、横須賀にいる自分が慌てる必要はないと判断しました。

6、ツイッターとフェイスブックに、いちおう「無事です」と書き込んで、津波情報などを教えてくださった方たちにお礼の返信。漫画家の井上雄彦さんが”smile”と題した笑顔イラストをweb上に次々にアップしているのを知り、泣きそうになりました。(井上雄彦さんのアカウント→こちら)あとは、首都圏の大規模停電を阻止するための節電をエヴァになぞらえて「ヤシマ作戦」と名付けたひとたちにも、すごく共感。この2つをリツイートして、リビングの電球をひとつ外しました。ぼくにできることは節電だけだったから。それでも「この災害を乗り切るために、自分にできることがある」というのは、うれしいというか、気持ちを安定させるのに効果的だったと思います。このときは気づいていなかったのです。自分はまだちっとも落ち着いてなんぞいなかった。

Posted by tekigi1969 at 09:10 | Comments [4] | Trackbacks [0]

2011年03月19日

●(地震後日記)3月11日

(3月19日に思い出しながら、書きました。)

1、予定通りに進んでいたら、3月11日夜のぼくは都内にいたはずです。夜遅くに京橋あたりで飲んで、千駄木の知人宅に泊まっていたでしょう。夜7時から印刷関係の方々が集まる電子書籍の勉強会に出席して、パネルディスカッションのパネラーをすることになっていました。「パネラー」という未知な響きにちょっと浮き足立って、英語ではパネリストで、パネラーは和製英語らしいから、女性だったらパネリーナかしらんとかくだらないことを思ったり、いやいや、マジメに著者・ライターという立場からみた展望を話さなくちゃね、と考えてみたり。ついでに企画も提案しようと思っていたのです。例えば、カナカナ書房で紙を使ったアイテムを出す計画があるから、その話もしたい。でも、この予定は午後2時46分に、ぜんぶキャンセルになりました。

2、自宅のパソコンで九州新幹線全線開通のCM動画(→これです)を見て、ちょっとグッと来ていたときです。家全体がグラっと横に揺れたような感覚があって、「じしん?」とひらがなで思ったときには、パソコンの電源が落ちていました。ツイッターにつぶやこうと入力した「じしん」も変換できないまま、消滅。揺れはそれほどでもない(横須賀は5弱だったようです)んだけど、意外に長く続く。思い出したのは、横浜のマンション4Fで体験した中越地震のときの揺れです。念のために玄関を開放。同じタイミングで外に出てきたご近所さんと「ちょっと長いですね」「遠くでデカイ地震が起きたのかもしれませんね」と話しているうちに、おさまりました。家の中に戻ったらみょうに静か。停電で換気扇が止まったせいです。そしたら、また揺れた。さっきと同じご近所さんと「停電してます?」「してるみたいですね」とまた話して、auのケータイでツイッターを立ち上げました。震源は宮城の方、津波の危険があるらしい。我が家は海が見える場所にあるので、いちおう確認しようと思いましたが、情報サイトはアクセスが集まっているせいか重くて開かない。「まあ、さすがに遠いからいいか」とスルーしました。

3、我が家のまわりではとくに被害はない感じ。ところが、ちっとも電気が来ない。実家の両親から「大丈夫?」というCメールが届いたんだけど、返信が送れない。困ったなと思っていたら、一人暮らしで年配の某さんが焦った表情で外を走っていくのが見えました。「うちも電気消えてますよー」と声をかけてみたら、ビンゴ。「あ、やっぱり?うちだけじゃないんだ。びっくりしたあ」との返事。「宮城の方で大きな地震があったらしいです」「そうなの?」「ケータイでちょっと見たんです」「あー、ケータイとかで分かるんだ。わたしそういうの弱いからびっくりしちゃってねえ」と笑顔で帰宅。すると港のほうで防災無線が鳴りました。津波警報ということは分かるんだけど、風が強いせいか、声が聞き取りづらくて内容が分からない。仕方がないのでツイッターを開いてみたら、みんなが数メートルとか、10mとかすごいことを言っている。さすがに大げさ過ぎるだろうと思いつつも、不安になって「津波警報でたらしい。どのくらいなんだろう@横須賀」とつぶやいてみました。すぐに何人かの人たちが到達予想時間や大きさについて知らせてくれたんだけど、じつはそのときにはもう最初の津波は到達したあとだったようです。ここに届いたのは幸いそれほど大きなものではなかった。ちなみに警報は「津波」じゃなく「大津波」でした。

4、最初の揺れから1時間が過ぎても電気は来ない。メールも電話もつながらないので、情報源だけでなく、知人とのやり取りもツイッターでやりました。鉄道が止まっていることが分かったので、都内に出かける予定はいったん保留して自宅に待機することを勝手に決断。これまた「自宅待機します」とツイッターにつぶやいておいたら、パネルディスカッション関係者の方から「おそらく今日は中止です」「それどころではなさそうです」と返事をもらいました。宮城が震源だったはずなのに、東京もこれだけ慌てている。誰かの「東京タワーの先が曲がってる」というツイートをみて、「どうやらただごとではなさそうだ」とようやく飲み込めたのです。

5、小さな余震がときどき起こるなか、奥さんが戻ってきました。自転車に乗っていた彼女は地震にまったく気づかなかったらしい。あちこちの信号が消えているのを見て、「さっきふらついたような感じがしたのは地震だったんだ」と分かったとのこと。予約していた歯医者さんは電気が来なくて治療ができず、結局すぐに帰るはめになったのでした。停電が長引くことに備え、帰り道にすぐ食べられる夕食類も買ってきてくれた。暗くなる前に、灯油ランプ、ペンライト、灯油ストーブを用意。月は夜を迎えたときから高いところにあって、やがて西のほうに見えなくなりました。

6、「こんなに長い停電っていつ以来だろうね」と奥さんと会話。ぼくらが子どもだったころには、まだけっこう落雷や台風による停電があった。たいがいは1時間もすれば復旧する。子どもにとっては、ああいうのって、ちょっとしたイベント。それで、ふと思い出した。ぼんやりした記憶だから、もしかしたらぜんぜん勘違いかもしれない。大きな台風が名古屋のあたりを直撃する予報が出て、家族そろって停電の中毛布にくるまって過ごした夜があったように思う。ぼくの実家はパン屋で、一階は店と工房、二階に家族4人で住んでいた。だから、そんな夜は二階に集まっているはずなのに、ぼくの記憶ではなぜか家族全員が店先に集まっていて、シャッター越しに聞こえる風の音に耳を済ましているのです。どう考えても、そんなわけはないよなあ。でも、なぜかそんな記憶がぼくにはあるのです。シャッターをたたく風の音と、非常食のおにぎりの匂いまで思い出せる。そのとき、ぼくは「不安になりながら、わくわくする」という、やたら複雑な感情を当たり前のように抱えていたんじゃないかったかな。

7、深夜1時過ぎまでずっと停電は続きました。薄暗いなかで体験する余震やら防災無線はあんまり気分のいいものじゃありません。サンルームから見る浦賀湾はひっそりしていて、津波の気配はない。でも、対岸のマンションのあたりが真っ暗で、いつもとはまったく違う。すごく遠くを走るクルマのライト、音がはっきり分かる。せめて情報だけは得ておこうと、乾電池式のケータイ充電器をつかいながらツイッターをちょこちょこチェックしていたら、とてつもなく大きな地震が起こったことがうかがえました。どこかで大変なことが起きていて、ここは静かなのだけど、でもやっぱり日常的な静けさとは異質なものだったと思います。都内に住む友だちのツイートで「新着メール問い合わせをしないとEメールは受信できなくなっている」と知り、試してみたら、いろんなひとから心配の連絡が届いていました。返信をして、暗いなか、ランプの明かりで読んでいた本は、ずいぶん前に読んだ宮沢章夫さんのエッセイ「わからなくなってきました」。なんとなく本棚から取り出したんだけど、すごくいい気分転換になりました。このとき、ぼくはとにかくクスクス笑える本を読みたかった。

8、「おー」と声をあげたのは、きっと我が家だけじゃなかったはず。だんだん眠たくなったところで、パッと電気が灯りました。その瞬間、肩のチカラがすーっと抜けていきます。想像以上に緊張していたんだと思います。テレビを点けてざっと状況を確認し、そのままリビングで毛布にくるまって寝ました。これが、ぼくにとっての2011年3月11日。

Posted by tekigi1969 at 18:18 | Comments [87] | Trackbacks [0]

2011年03月18日

●地震後日記を書いてみます

1、古田です。あのとてつもない地震から1週間が過ぎました。みなさんご無事でしょうか。暖かく、明るい場所におられるでしょうか。ストレスなどで参っておられないでしょうか。ぼくは幸運なことに、いま暖かく(ヒートテック着用)、明るい(さっきまで計画停電だったけど)自宅で元気にしています。

2、ぼくの住んでいる横須賀では、それほど大きな被害はありませんでした。だから、いわゆる「被災地」ではありません。衣食住は足りています。停電はありますが、事前に分かっていれば、全然へっちゃらです。取材の予定もなかったので、鉄道ダイヤの急な変更にもいまのところは無縁です。でも、それでも、どういうわけか、元通りな感じになれません。M9.0の地震と津波発生以来、ずっと「通常ではない状態」という感じになってしまっています。最初は、余震や津波への不安(我が家は海のみえる場所にあります)だったのだと思います。原発の事故ももちろん気にしています。でも、それだけではない感じがあります。もしかしたら、あれ以来、自分はナニカをずっと考えているのかもしれません。そのナニカの正体はまだよく分かりません。でも、これまで「ずっと考えなくちゃ」と思いつつ放置し続けてきたモノに、ナニカはとても近いところにある気がするのです。

3、今回の地震が及ぼす被害はぼくなんかが想像するよりずっと甚大で、深刻なものになるのだろうと思います。いまはまだ、被害の拡大を食い止める段階なのでしょう。でもいつか必ず災害は過去のモノになり、復興が成し遂げられるはずです。そのとき、いまぼくらが過ごしている”震災直後の日々"も思い出に変わるでしょう。「あのときは計画停電とかやったよねー」「あったあった!」とか話して、もしかしたら「計画停電って何ですか?」なんて言い出す世代にジェネレーションギャップを感じたりすることになるかもしれません。それはきっとステキなことです。でも、ぼくはいま考えていること、いま思っていること、をそのときに忘れないでいたいな、と感じています。ここから前に進むために、そのナニカは役立つのではないかという気がするからです。

4、というわけで、前置きが長くなっちゃったけど、明日から被災地じゃないところからの地震後日記を書くことにしました。「じしんご・にっき」でも「じしん・ごじつき」でも、読みはどっちでも可。とりあえずはツイッターとフェイスブックのログを参考に、思い出しながら、1週間分を駆け足で書く予定。そこからはだいたいリアルタイムでやってみます。いつまで続くか分からないし、おもしろくなるのかも全然自信ありませんが、もしご興味ありましたら適宜、宜しくお願いしまっす!

Posted by tekigi1969 at 17:46 | Comments [4] | Trackbacks [0]