2011年03月28日

●(地震後日記)3月19日

(3月28日に思い出しながら、書きました。)

1、6時ごろ起床。まだリビングで寝ている。緊急地震速報がまだちょくちょく鳴るので、なんとなく落ち着かないのです。でもだいぶ回数は減ってきた。ちまたはきょうから3連休で、東京電力さんは「できるだけ停電は回避したい」とのこと。さっそくこの日の計画停電はナシになりました。

2、もともとの予定では、この連休は静岡の同級生が泊まりに来るはずでした。だけど、もともとの彼の予定(都内での集まり)がキャンセルになって、しかも我が家も停電がどうなるか分からない状態だったから、延期せざるを得なかった。さびしいけど仕方ない。近所のお店でも「停電と自粛ムードできびしい」と聞いたし、数時間かかるような生産ラインを持っている工場だと「3時間の停電」でも、一日動かせなかったりするらしい。これに比べればぜんぜんマシ。個人的にはこれをきっかけに、電力消費の少ない生活を続けたいなあと思う。エアコンないから、いまでも30A契約なんだけど、いっそ20Aとかにできないものかなあ。それだと長続きしないかしらん。テレビなくせば、もしかして。うーむ。

3、ツイッタをみていると「みんなが1つになるべき」という声が多い。でも、その調子が誰かに対して「それはフキンシンだ」「首都圏から逃げ出すなんて信じられない」とか他人を非難する理由になってしまうことがある。これには違和感を覚えました。「協力するべき」というのは全体としてみるときっと正しいんだろうけど、個人個人はギリギリまでは自由であるべきだと思う。ぼくは「正論」ってのは、自分を説得するためにつかうモノだと思っています。他人に向かって正論だけを振りかざすのはたいてい得策じゃない。ひとに何かを伝えるためには、正論以上のモノ(魅力、メリット、エンターテイメント性などなど)がないと届かない。だから、自分は自分、他人は他人で信用するしかない。こういうとき、いちばん邪魔になるのは「怒り」という感情だなあ、とも思いました。

4、てか「誰もが全体のことを考えて、最適な行動をとる世界」なんてぼくには気持ち悪い。以前あるひとが「最適化された行動をとる子どもがいたら、つまんないでしょう」と話していたことがあって、そのことも思い出しました。てなわけで「フキンシンはロシアの保守思想家、フキン・シンならインド出身のプロレスラー(悪役だけどじつはいいひと)」とか「予断はここのところずっと許されなくて可哀想」とかツイッタでぶつくさつぶやいていたら、「そういう、どうでもいいつぶやきを待ってました」とリプライが来て、なんだかうれしくなりました。

5、友だちや仕事の方々とメールや電話。先の予定がちっとも見えず「落ち着いたら」とまるで枕詞のようにいっている自分を発見。悔しい。「地震後日記」を書いていたら、奥さんが実家から届いていた大量のダイコンをつかって「風呂吹け!ダイコン祭!」を台所で開催していました。

6、夕方になって緊急地震速報にビクッ!ここのところ「なーんだ」という結果になることが多かったんだけど、このときは少し揺れた。茨城北部で震度5強。このエリアに住んでいる知人から「揺れに慣れちゃって逃げなきゃいけないのか逃げなくても大丈夫なのかわからなくなってきてる」と返信がきて、それは途方もないストレスだろうなあと思いました。

7、この余震が気になって、またもやリビングで寝ました。楽しみにしていた「taroの塔」は放送延期。ちなみに朝の連ドラ「てっぱん」はこの日から再開されました。

Posted by tekigi1969 at 2011年03月28日 09:43
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